企業社会 私たちが考えるもうひとつの視点

新しい産業社会を展望するビジネスパースンの視点から、仕事や政治経済にまつわる疑問、解決方向等をゆるいペースで綴っていきたいと思います。

「無限の可能性」に潜む自己責任論

 多くの企業が新入社員を迎えてひと月が経った。みなさんの職場の新入社員達は、元気に働いているだろうか?

 入社式や新人研修での経営トップや幹部の励ましのメッセージ。「皆さん、君たちは無限の可能性を持っています。できないとかやれないとかいう前に、何にでもチャレンジしてその可能性を実現していきましょう。」こんなフレーズが良く聞かれる。「チャレンジ」「努力」「成長」どれも必要なことだし、「社員の成長」は、採用した企業の側も望んでいることだが、社員本人のキャリアにとっても重要だ。チャレンジや努力が無い所に成長はない。

 先輩のメッセージを誠実に受け止めた新人たちは、上司や顧客からリクエストされた無理難題に直面して、睡眠時間を削り、家族や友人との時間を犠牲にして、無限の可能性にチャレンジする。しかしながら残念なことに、そういう努力の末にやっとたどり着いた3年後、5年後に成長の喜びを感じることができる社員の割合はそう高くない。

 その理由は、上司や顧客が新人に求めるゴールが往々にして一本道で、やれたかやれなかったか、合格か不合格かの〇×方式、勝ちか負けかのどちらかしかないからだ。採用条件がジョブ型雇用だったりすると、勝ち負けは一層顕著になる。

 就職人気ランキングが高い有名企業は、その採用力を背景に、優秀な学生を囲い込み、大量採用して、この一本道のレースに放り込む。脱落者が出ることは織り込み済。会社は数割の勝ち組が残って会社に貢献してくれれば良い。努力空しく「脱落者」となってしまった若者は、低い人事評価を受け容れながら会社に残り続けるか、新天地を探すため転職活動に勤しむかという選択になる。彼ら彼女らに向けられるのは、自己責任論だ。「無限の可能性を実現できなかったダメな奴」という視線を浴びる。本人も「無限の可能性」を信じて頑張って来た結果だから、できなかった自分が悪いと自分を納得させることになる。

 しかし、本来の無限の可能性は、多様性の中にある。新入社員全員が努力すれば同じ一本道を限りなく登れる、脱落したのは努力が足りなかったから、という無限ではない。一人一人の可能性は多様で、そのバリエーションは無限にあるという意味の無限だ。かつての日本型雇用は、学生の可能性を採用し、様々な体験をさせながら、人材を開発して育成していった。上司や人事に愛情があったのもその理由だが、人材は宝だという暗黙の前提が多くの企業で共有されていた。

 学業とビジネスは違う。就職して仕事をしてみて初めて、自分の意外な能力や思ってもみない弱点に気づくことも多い。それらを、業務体験を通じて見出せるような機会を与えて発見して、強みを伸ばしていける仕事につけてあげることが、本来社会や企業が新人に対してなすべきことだ。その結果、いろいろな才能が無限に育っていけば、日本の産業ビジネスの未来はもう少し明るいものになるのではないだろうか。

(吽)